間取りより先に、まず椅子を。
心地よい居場所は、一脚の椅子から始まる
窓の位置を数センチだけ横にずらしたり、天井の高さをほんの少し調整したり。私の毎日は、そんな地味で、目立たない作業の積み重ねです。
でも、そのわずか数センチのこだわりが、住む人の「なんとなく、ここが一番落ち着くんだよね」という居心地の良さを決める分かれ道になります。だからこそ、設計図に向き合う時は、一瞬たりとも気が抜けません。
今回は、家づくりにおいて、意外と後回しにされがちな「家具と設計」のお話をさせてください。
1│「どんな椅子に座って、何をしたいですか?」
家づくりを始めると、どうしても「まずは土地を決め、次に間取りを考え、予算が余ったら最後に家具を買う」という順番になりがちです。箱を先に作り、中身を後から詰め込む。一見効率的に思えますが、あえて言わせてください。この順番、実は「逆」かもしれません。
私が設計のヒアリングでお客様に必ずお聞きするのは、部屋の数や広さではなく、そこでの過ごし方です。「どんな椅子に座って、どんな時間を過ごしたいですか?」「ずっと大切に使い続けたい家具はありますか?」といった問いかけです。
これは決して、好みを伺うだけの世間話ではありません。なぜなら、置きたい家具が決まらないと、その部屋に本当に必要な広さは決して決められないからなのです。
2│家具が教えてくれる「住まいの解像度」
例えば、家族で囲むダイニングテーブルを想像してみてください。四角いテーブルを置くのか、それとも直径120cmの丸いテーブルを置くのか。たったそれだけの違いで、必要なスペースはもちろん、天井から吊るす照明の位置も、外を眺める窓の高さも、すべてが連動して変わってきます。
もし、ハンス・J・ウェグナーの「Yチェア」のような、美しいアーム(肘掛け)のある椅子を選びたいなら、椅子を引くためのスペースや、人が後ろを通るためのゆとりを少し多めに確保する必要があります。
それを決めずに「とりあえずLDKは20畳あればいいよね」と、先に箱だけを作ってしまうと、いざ引っ越した時に悲劇が起きてしまいます。お気に入りの椅子を引くと壁にぶつかってしまったり、せっかくの名作照明がテーブルの真ん中に来なかったり。あるいは、動線が狭くて歩くたびにストレスを感じる……。そんな後悔を、私はプロとして防ぎたいのです。
3│無駄に広いリビングは、もういらない
「置きたい家具」が明確になると、不思議なことに「ただ広いだけのスペース」が必要なくなります。その家具が一番美しく見えて、あなたが一番心地よく使える「居場所」を丁寧に設計すれば、それだけで空間は完成するからです。
「広いリビング」という言葉の響きは魅力的ですが、広すぎるとかえって落ち着かないこともあります。それよりも、自分の体に馴染む椅子があり、ちょうどいい場所にサイドテーブルがあり、窓の外の緑が一番きれいに見える。そんな、密度の高い居心地の方が、日々の暮らしをずっと豊かにしてくれます。
結果として、家をコンパクトにまとめられれば、建築コストを抑えることにもつながります。広さという「数字」を追うよりも、自分にぴったりの「サイズ」を知ることが、賢い家づくりの秘訣です。
4│設備は古くなるけれど、家具は育っていく
キッチンやトイレ、給湯器などの「設備」は、どんなに最新のものを選んでも、20年も経てば古くなり、価値はほぼゼロになります。壊れれば修理や交換が必要になる、消耗品としての側面が強いものです。
一方で、丁寧な手仕事で作られた良い家具は、手入れをしながら使えば50年、あるいは孫の代まで使い続けることができます。使い込むほどに木肌に艶が増し、家族の歴史が刻まれていく。傷がついたテーブルの角を見て、「これはあの子が小さい頃にぶつけた跡だな」と微笑む。
家という「箱」に暮らしの魂を吹き込むのは、流行の設備ではなく、長く愛せる家具なのだと私は考えています。家具は単なる道具ではなく、人生を共にするパートナーなのです。
5│図面の中に「あなたの暮らし」を映すために
もし今、あなたが設計の打ち合わせ中なら、ぜひ設計者に「この椅子に座って、本を読みたいんです」「このテーブルを、部屋の主役にしたいんです」と伝えてみてください。写真を見せるだけでも、カタログを広げるだけでも構いません。
具体的な家具がひとつ決まるだけで、真っ白だった図面の上に、あなたの実際の暮らしが鮮やかに浮かび上がってきます。設計士が引く一本の線の意味が変わり、提案される間取りの「解像度」がグッと上がるはずです。
おわりに
家は建てて終わりではなく、そこから始まる毎日の積み重ねです。
朝の光の中でコーヒーを飲む椅子の角度。夕暮れ時に、家族の笑い声が響くテーブルの質感。そんな「幸せの指定席」を、まず最初に決めてみませんか。箱を造ってから中身を詰め込むのではなく、あなたの大切な宝物を、一番いい場所に置くための家づくりを。
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