和紙の呼吸を、肌で聴く。

光と和紙がくれる時間

朝、まぶたの裏側に柔らかな明るさを感じて、私は目を覚ましました。カーテンを閉め切った部屋の重たい暗闇でもなく、窓ガラスから差し込む突き刺さるような鋭さでもない。和紙という植物の膜を幾重にも通ってきた光が、部屋のなかにミルクをこぼしたように、静かに満ちていました。

ゆっくりと身を起こし、冷たい板間に足を下ろします。冬の朝の空気は容赦なく、指先がちりちりと縮こまるような寒さです。けれど、壁一面の障子を眺めていると、不思議と心まで冷え切ることはありません。そこにあるのは、外の世界を拒絶する分厚い壁ではなく、外の気配を吸い込んで、部屋の温度に馴染ませてから届けてくれる、柔らかな境界線だからです。

 

1|光を丸く、届けてくれる

障子の前に座り、ぼんやりとその白さを見つめてみます。太陽が昇るにつれて、和紙の表面には光の粒子が躍り始めました。ガラス一枚向こう側には、きっと刺すような冬の日差しが溢れているはずです。けれどこの部屋のなかでは、光は角を落とされ、湿り気を帯びた穏やかな明るさとなって、私の肌を包んでくれます。

この光のなかに身を置いていると、誰かと自分を比べて焦っていた気持ちが、輪郭を失って和紙の繊維に溶け込んでいくのが分かります。均一なプラスチックにはない、繊維の不規則な重なり。それが光をあちこちに跳ね返らせ、影をあいまいにぼかしていきます。その心地よい不透明さに視線を預けているだけで、頭のなかに溜まっていた言葉の群れが、静かに引いていきました。

 

2|木と紙の、小さなため息

障子を構成する杉の細い格子は、この家に据えられてからも、森にいた頃と同じように呼吸を続けています。雨が降れば湿り気を含んでしっとりと重くなり、晴れの日が続けば水分を手放して体を軽くする。障子を引くときの「スッ」という乾いた音は、木と紙がここで私と一緒に生きているという、確かな合図のように聞こえます。

長く使い続けていると、和紙は少しずつ、古い蜜のような飴色へと変わっていきます。格子の角には、毎日触れる私の指の跡が、静かな艶となって重なりました。こうした色の変化は、時間の経過をただ突きつけるものではありません。この家でどれだけの朝を迎え、どれだけの季節を重ねてきたかという、住まいとの信頼の証のように思えるのです。

 

3|破れた跡も、家族のしるし

完璧に整えられた空間は美しいけれど、どこか背筋を伸ばしていなければならない緊張感があります。その点、障子のある暮らしは、どこか不完全で、揺らぎがあります。掃除機の柄をうっかりぶつけたり、小さな子供が好奇心で指を突き立てたり。一瞬「ああっ」と肩を落とすような失敗も、和紙の上では日常の風景に変わります。

破れた箇所に、花の形に切り抜いた新しい紙を糊でぺたりと貼り付けてみる。そこだけ色が白く浮いて見えますが、その不格好さがなんとも愛おしく感じられます。直しながら、手間をかけながら使い続ける。それは効率を求める日々のなかで、自分の歩幅を取り戻せる大切な時間です。傷を隠すのではなく、手当てをした跡を景色として受け入れていく。そうすることで、私の心にあった尖った部分も、少しずつ凪いでいく気がします。

 

4|冷たい水と、新しい白

一年の終わり、古い和紙を剥がして木の骨組みを洗う時間は、私にとって心身を清める儀式のようです。バケツに汲んだ冷たい水に指を浸し、ふやけた紙の端を爪先で探り当てる。一気に剥ぎ取った瞬間、濡れた木肌から、数十年前の森を呼び起こすような瑞々しい香りが立ち上がりました。

新しい和紙を広げ、刷毛で丁寧に糊を引いていく。ピンと張った紙が冬の空気に触れて引き締まると、指先を弾いたときに、小さな太鼓のような乾いた音が響きます。自分の手を使って環境を整える。ただそれだけのことで、新しく張り替えられた真っ白な面から透ける光は、驚くほど澄んで見えます。明日からの日々をまた新しく始められるような、清々しい静寂がそこにありました。

 

5|移ろう色と、おやすみなさい

夕暮れ時、太陽が山の向こうに隠れる直前の数分間。障子は一日のなかで最も美しい表情を見せてくれます。外の空気が深い藍色に沈んでいくにつれて、和紙の白も、青く、そして紫を帯びた色へと溶け出していくのです。庭の枝が風に揺れ、その影が障子の上で踊るのを眺めていると、外と内の境界線さえも心地よく曖昧になっていきます。

何者でもない、ただ一つの肉体に戻る時間。そんな空白を許してくれる障子の気配は、かつてここで暮らした人々の、穏やかな溜息さえも記憶しているかのようです。移ろいゆく季節も、老いていく自分も、すべてを包み込んで光に変えてくれる壁とともに。夜の帳が下りる頃、私は部屋の明かりを落とし、静かに目を閉じました。

建築工房『akitsu・秋津』

美は、日々の営みの中に。

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