美意識が宿る、時を重ねる家。

季節を人生の栞にする家。

毎日が、スマートフォンの画面をスクロールするように、あっという間に過ぎ去っていく。ふとカレンダーを見れば、もう月が変わっていることに驚く。そんな風に、時間に追われている感覚はありませんか?

けれど、少し立ち止まって見上げてみれば、世界は一日として同じ日はありません。空の色も、雲の形も、雨の匂いも。本当はこんなにも変化に富んでいるのに、私たちの心だけが、忙しさの中でその彩りを見失っているのかもしれません。

もし、家という場所が、そんな見過ごしていた小さな変化を教えてくれる「器」であったなら。ただ雨風をしのぐだけの箱ではなく、光と影を受け止め、風の通り道となる。そんな、失いかけていた「人間らしい感覚」を取り戻す暮らしについて、少しゆっくりと考えてみたいと思います。

 

1|五感を呼び覚ます場所

アスファルトに囲まれた街中では、天気は「晴れか、雨か」の二つくらいしか気になりません。でも、自然と深くつながる家では、雨ひとつとっても無限の表情があることに気づかされます。屋根を叩く音の強弱で「あ、雨粒が大きくなったな」と気づいたり、湿気を含んだ風の重さで「もうすぐ降り出しそうだ」とわかったり。

それはきっと、私たちの奥深くに眠っている「自然の一部だった頃の記憶」が、ノックされた瞬間です。便利な機械で一年中同じ室温にするのも快適ですが、あえて外の気配を少しだけ家の中に招き入れてみる。そうして季節の肌触りを感じる時間が、乾いた心に水をやり、深い安心感を与えてくれるはずです。

 

2|「影」がつくる深い安らぎ

今の住宅は、とにかく「明るさ」を求めがちです。でも、旅先の古い旅館やホテルに行くと落ち着くのはなぜでしょう? それはきっと、そこに心地よい「暗がり」があるからです。真昼の太陽を直接入れるのではなく、深い軒(のき)で一度遮って、やわらかい光に変える。そうすると、部屋の中にはひんやりとした「静かな影」が生まれます。

明るすぎる照明の下では交わせないような本音も、少し薄暗いリビングでなら、ぽつりと話せるかもしれない。光を採り入れるのと同じくらい、丁寧に「影」をデザインすること。それは、情報の多い現代において、本当の意味での「心の休息」をつくることと同じなのです。


3|窓は日常を彩るフレーム

窓を、ただの「換気扇」や「明かり取り」と思うのは、少しもったいないかもしれません。窓は、外の世界から「あなたが見たい景色だけ」を選んで切り取る、額縁(フレーム)のようなものだからです。たとえば、隣の家の壁や電線は見えないように隠して、遠くの山の緑や、空の青さだけが見えるように窓を配置してみる。

するとそこにあるのは、雑多な風景ではなく、世界に一つだけの「生きた絵画」になります。ソファに座ったとき、ふと視線の先に美しい景色がある。それだけで、何気ない日常がアートのように感じられる。良い窓辺には、美術館で名画を眺める時のような、豊かな時間が流れています。

 

4|「72の季節」と暮らす

日本には春・夏・秋・冬の4つだけでなく、もっと細やかな「七十二候(しちじゅうにこう)」という季節の呼び名があるのをご存知でしょうか。およそ5日ごとに移ろう、繊細な季節の節目です。「カエルが鳴き始める頃」「大地が潤って蒸し暑くなる頃」。そんな、カレンダーの数字だけでは分からない小さな変化を感じられるのも、自然と共に呼吸する家の醍醐味です。

梅雨時のしっとりとした空気の匂いや、秋の夜長の月の明るさ。「また同じ毎日か」とため息をつく代わりに、「あ、季節がまたひとつ進んだな」と楽しめること。それは、効率ばかりが求められる時代において、大人の暮らしに許された、とても贅沢な遊び心です。

 

5|家を「育てる」という贅沢

「家は新築の時が一番きれいで、あとは古くなっていくだけ」。そんな風に思っていませんか? でも、本当に良い素材を使った家は、履き込んだジーンズや、使い込んだ革の財布のように、時間とともに「味わい」が増していきます。無垢の床についた傷も、壁の色づきも、それは汚れではなく、家族がそこで過ごした時間の証(あかし)です。

ピカピカの新品にはない、肌に馴染むような心地よさと、深まる愛着。家は完成品を買うのではなく、住む人が手を入れながら、何十年もかけて育てていくもの。「建てた時より、今のわが家が好きだな」。数十年後にそう言えることこそが、この家が私たちにくれる一番の価値なのかもしれません。

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