左官の技が宿る、唯一の壁。

「呼吸する壁」と紡ぐ、心満ちる静寂な日常。

朝、カーテンを開けたときの柔らかな光。夕暮れ時、家路について玄関の扉を開けた瞬間の、ふっと肩の力が抜けるような空気感。

忙しい毎日の中で、私たちが無意識に求めているのは、そんな「心から安らげる居場所」なのかもしれません。

日本の住まいには、古くから愛されてきた「土壁」という選択肢があります。それは単なる壁材ではありません。大地そのものが家の一部となり、まるで生きているかのように静かに呼吸を繰り返す。機械的な便利さとは違う、人間が本来心地よいと感じるリズムがそこには流れています。

効率やスピードが求められる現代だからこそ、職人の手仕事で丁寧に塗り重ねられた壁は、とびきり贅沢な「余白」を暮らしに与えてくれます。今回は、そんな「呼吸する壁」と共に暮らす豊かさについて、少しだけお話しさせてください。

 

1|五感で受け取る、見えない心地よさ

古いお寺や、大切に保存されている古民家に足を踏み入れたとき、空気がひんやりと澄んでいるように感じたことはありませんか?その正体は、日本の風土が育んだ壁の「呼吸」にあります。

季節に合わせて、深呼吸するように

土壁には、目に見えない小さな孔(あな)が無数に空いています。湿気が多い梅雨時は水分を吸い込み、乾燥する冬には潤いをそっとお部屋に返す。まるで森の木々のような自然の働きが、一年を通して穏やかな空気を作ってくれます。機械の風が苦手な方でも、この壁なら優しく包み込んでくれるでしょう。

「無臭」という贅沢

家に帰ったとき、鼻をかすめるのは生活の匂いではなく、どこか懐かしい土や草の気配。化学物質を含まない自然素材は、お部屋の空気を静かに浄化してくれます。澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む、そんな当たり前のことが、ここでは特別な喜びに変わります。

音さえも、柔らかく

土壁の細かな凹凸は、室内の音を優しく吸収してくれます。話し声やテレビの音がキンキンと響かず、まろやかに耳に届く。静かな夜、ページをめくる音や、遠くの虫の声に耳を澄ませる時間は、何にも代えがたい癒やしとなるはずです。

 

2|大地から借りた、世界に一つの「色」

「土壁」と一口に言っても、その表情は採れる土や混ぜる素材によって千差万別です。工場で大量に作られる均一な色ではなく、自然から少しだけ色を借りてくる。そんな「一期一会」の素材たちをご紹介します。

【漆喰 - しっくい】

お城や蔵に使われてきた、凛とした白。石灰岩を原料とするその白さは、光を柔らかく拡散させ、お部屋全体を上品な明るさで満たします。滑らかな肌触りは、ずっと触れていたいほどの心地よさです。

【珪藻土 - けいそうど】

太古の植物プランクトンが、長い年月をかけて土になったもの。マットで素朴な質感には、ざわつく心を鎮めてくれるような包容力があります。「土」本来の力を借りたい方に、ぴったりの素材です。

【聚楽 - じゅらく】

京都の聚楽第(じゅらくだい)の跡地から良質な土が採れたことに由来する、格式高い壁です。色土に、わらや砂を混ぜ込み、職人の感性で練り上げる。その荒々しくも温かい風合いは、まるで一枚のアートのように、空間に奥行きを与えてくれます。

 

3|「変わっていく」を味わう、大人の余裕

自然素材を取り入れることは、自然の営み(いとなみ)と共に暮らすことでもあります。

確かに、土壁は石のように硬くはありません。物が当たれば傷つくこともありますし、長い時間をかけて少しずつ色合いも変化します。でも、それを「劣化」と嘆くのではなく、「経年変化」として愛おしむ。まるで使い込んだ革製品やデニムのように、家も一緒に歳を重ねていくと捉えてみてはいかがでしょうか。

お子様がつけた小さな傷も、家族の歴史。どうしても傷が気になる場所には、腰の高さまで板を張って壁を守るなど、木と土を組み合わせるのもまた、知恵ある暮らしの楽しみです。

職人の手仕事ゆえに、完成までには時間も費用もかかります。けれど、「効率」よりも「愛着」を選び、手間をかけてしつらえた空間は、住まう人の心を豊かに満たしてくれるはずです。

 

4|光と影が織りなす、心静かな和空間

土壁の美しさが真価を発揮するのは、太陽が沈み、明かりを灯したときかもしれません。

夜だけに見せる表情

夜、間接照明を低く灯すと、昼間は見えなかった職人のコテの跡が、美しい陰影となって浮かび上がります。炎のように揺らぐその影は、「1/fのゆらぎ」と呼ばれる癒やしのリズムを持っています。お気に入りの椅子に座り、ただ壁を眺めるだけの時間が、極上のリラックスタイムになるでしょう。

異素材が引き立て合う

ざらりとした土壁の前に、あえてモダンなガラスの照明や、アイアン素材の家具を置いてみる。あるいは、障子越しに入り込む柔らかな光と組み合わせてみる。「素朴なもの」と「洗練されたもの」。異なる素材が出会うことで、空間に心地よい緊張感が生まれ、ワンランク上の「和モダン」な空気が漂います。

まずは、深く眠りにつきたい寝室や、大切なお客様を最初にお迎えする玄関など、こだわりの場所から取り入れてみるのも素敵です。

 

5|家を育て、記憶を刻む

家は、完成した瞬間がゴールではありません。そこに住まう人と共に日々を重ね、傷も思い出も含めて、味わいを増していくものだと私は考えます。

呼吸する壁に囲まれた暮らし。それは、四季の移ろいを肌で感じ、雨の日さえも愛おしくなるような、豊かで優しい時間の積み重ねです。

便利さの先にある、心の充足へ。世界にたった一つ、あなただけの物語を紡ぐ場所を、「土壁」と共に育ててみませんか。

建築工房『akitsu・秋津』

美は、日々の営みの中に。

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