タイパ重視の若者へ、贈る言葉。
効率と投資で自立する若者たち。その先に欠け落ちる「人間力」の本質とは
この時期、多くの学校で卒業式が終わり、街の中に少しだけ静かな余韻が漂う時期になりました。茨城の空も少しずつ高くなり、風の中に春の匂いが混じり始めていますね。
この時期、新しい門出を前にした若者たちの姿を目にするたび、ふと現代の「学びの形」について考えさせられることがあります。
最近、ある通信制高校に通う生徒たちの実態を知る機会がありました。そこには、私の中にあった「学校」という場所の常識を、根本から揺さぶるような価値観がありました。
1│「不登校」ではなく「超合理主義」という選択
通信制高校と聞くと、かつては「学校に馴染めず、引きこもりがちな子が通う場所」というイメージがあったかもしれません。しかし今、そこには全く別の価値観を持った若者が増えているようです。
彼らにとって、毎朝決まった時間に登校し、集団で授業を受けることそのものが「時間のムダ」なのだと言います。
クラスの授業に参加するよりも、自宅で独学して必要な単位や資格だけを効率よく取得する。そして浮いた時間でFXなどの投資を行い、学費や生活費を自力で工面する。
大人に頼らず、自らの手で経済的な自立すら成し遂げてしまう。まさに「超合理主義」を地で行く若者たちが存在しているのです。
2│「タイパ」重視の学びが変える、残酷なまでの現実
昭和の時代に育った私自身の世代からすると、「学校に通い、集団の中で学び、揉まれながら大人になっていく」のが当たり前でした。それだけに、彼らの価値観には大きな隔たりを感じざるを得ません。
しかし、これは情報化社会における学びや仕事のやり方が劇的に変わっている、という現実の現れでもあります。
オンライン教材は充実し、個人で稼ぐ手段も多様化しました。「将来に必要な学力と資金」を最短距離で手に入れようとする彼らにとって、学校生活は「タイパ(タイムパフォーマンス)」が悪い場所に映るのも、無理はないのかもしれません。
自分一人の力で、合理的に効率よく道を切り開いていけると、彼らは真っ直ぐに信じているのです。
3│効率化というナイフで切り捨てられる「非効率な人間力」
けれども、効率を求めて集団生活を切り捨てた先に、彼らはどのようにして「社会性」を学ぶのでしょうか。ここが、設計士として、一人の大人として、私が最も危惧している点です。
社会を生き抜くうえで本当に欠かせないのは、単なる知識や資金力だけではありません。
・言葉にならない相手の気持ちを汲み取る力
・価値観の異なる人とぶつかり、協力して目標を達成する力
・失敗したときに、周囲に支えられ、また誰かを支えて立ち直る経験
こうした、一見「非効率」に見える集団の中での摩擦を通じて得られるものこそが、人間の基盤となる要素ではないでしょうか。
4│「理不尽」という名の、尊い教育
学校という場所は、ある意味で理不尽な場所です。
気が合わないクラスメートとの衝突に悩み、納得のいかないルールを押し付けられ、戸惑いながらも自分なりの適応策を見いだしていく。
一見、無駄に見えるその時間の積み重ねが、結果として「人間力」という、目に見えないけれど決して折れない太い根っこを育ててくれるのです。
これは大人にも言えることです。
例えば、早くに多額の相続財産を手にし、働かずに好きなことだけをして過ごせる人がいたとします。その人の人生の充実度は、社会に出て、誰かのために働き、荒波に揉まれている人と比べてどうなのでしょうか。
人間は、本質的に社会性のある生き物です。世の中は人と人の「関係性」で成り立っています。「自分さえ効率よく良ければいい」という超合理主義は、長い目で見ればトータルで道理に反し、決して良い結果を招かない。私はそのように確信しています。
5│もし、我が子が「学校はタイパが悪い」と言い出したら
「学校に行くのは無駄だから行きたくない」
もし、子育て中の方が、お子さんからそんな言葉を投げかけられたら、どのように導いてあげますか?
最短距離でゴールに辿り着く力も、現代には必要かもしれません。しかし、寄り道をし、誰かとぶつかり、泥臭く汗をかいて歩く道のりにこそ、人生の深みが宿ることを、私たちは伝えていく必要があるのではないでしょうか。
家づくりも同じです。
効率だけを求めた、ただの「箱」を作るのか。
それとも、そこで育まれる家族の「関係性」や、不完全ささえも包み込む「住まい」を作るのか。
設計士として、そして一人の大人として、私は「目に見えない豊かさ」を大切にする側でありたい。そう強く思う、昼下がりでした。
おわりに
皆さんは、この「超合理主義」な若者たちの姿をどう感じられましたか?
あらゆるものが効率化される今だからこそ、あえて「非効率な経験」にこそ価値を見出す視点を、私たちは手放してはいけないのだと思います。
卒業式を終えたこの静かな時期に、改めて「学ぶことの意味」や「共に生きることの価値」を、次世代に背中で見せていきたいものですね。
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